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コラム

2008/02/01

アラブのパン

 昨年の暮れにサウジアラビアを旅する機会があり、そこで見聞した幾つかの話題の中から、今回はパンの話しを紹介したい。

 麦が栽培作物として定着して久しいが、手で石臼を前後させて挽く人力摺臼(サドルカーン)で小麦を粉砕するようになったのは、エジプトでは第一王朝時代とされている。この製粉法が今日でもアフリカのマリ国の一部に現存するところをみると、棄て難い便利性を持つ伝承技術なのだろう。

 紀元前1500-1900年、古代エジプトの壁画に記された製パン方法は、まずつき臼で麦を潰し、粉にし、その後篩にかけて、さらに粉を摺り臼で細かくした。そんな手間暇かけて製粉した小麦粉に、水を加えて軽く練って生地を作り、形を整え、釜で焼いてパンにした。それは現在のパンの食感からはほど遠く、ビスケットよりも更に硬い乾パンのような食べ物だっただろう。

 さて中東では、チグリス・ユーフラテス川流域に広がる半湿原に、早くから住民が定住して農業を営んでいた。人々は山羊、羊、駱駝、牛などの家畜を飼育し、時には畜力をも借りて、農耕をした。栽培作物は、オリーブ、ナツメヤシ、イチジクなどの他に、毎年種を蒔いて麦や稗などの穀物を収穫した。メソポタミア文明発掘調査書を読むと、この地方でも古代エジプトと同様に摺臼を用いて小麦を粉砕し、製パンを営んでいた様子が報告されている。

 スエズ運河が開通する以前、アラビア半島とエジプトは地続きで、お互いの言語を解する住民同士が狭い海峡を往来しながら盛んに交流が行われていたはずである。また小麦の古里が、アフガニスタンであるとする説もあり、パン作りの歴史に関する限り、エジプトが先か、メソポタミアが先なのかは定かでない。いずれにしても、ロバ、駱駝、牛などの家畜に石臼を引かせて小麦を挽く道具(ロータリーカーンやミールストーン)の本格的な利用はローマ時代とされ、これらの製粉道具の発明により、飛躍的に小麦粉の生産量が増して、多種多様な小麦加工食品の量産へと繋がった。そしてさらに、パスタやスパゲテイー、ビスケッツトやクッキイなどなどの製造へと発展した。

 さて、話をアラブパンに移すとしよう。アルコールを発明したアラビアでは、当然酵母の存在を認識していたであろうから、パン生地を膨らますのにも酵母を用いたであろう。全粒粉に少量の水を加え固練りにしたものを自然に放置しておくと、空気中に飛散している酵母や乳酸菌が付着する。それを種菌として、パン生地を醗酵させる。現在でもサワードーや黒パンの製法に応用されている製パン法である。

 酵母の存在を認識していたと思われるエピソードとして、エジプトでは小麦粉に葡萄の絞り汁を加えて一晩寝かしてパン生地を醗酵させた話や、古代ギリシャでは稗粉と小麦粉でパン生地を作る際に、白葡萄酒の搾り糟を混ぜた話などがある。

 さて今日のアラブパンであるが、一つは地中海沿岸で食べられている中央が膨らみ恰も遠方から眺める遊牧民のテントを連想させる、なだらかな丸屋根の円形のパンである。製法は、醗酵途中でパンチを入れてガス抜きをし、再度醗酵させて成型、焼成する。これは日本でも見られる、フランスパン**の一種、パン ド カンパーニュと同じ種類のものである。

 もう一つは、サウジアラビアや近隣諸国で食べられている、極薄のパンである。ピザ生地の様なものを更に薄く延ばして、あたかもぴらぴらの薄い紙状の生地にし、窯の壁に貼り付けて焼く。途中でベンチタイムを採るかどうかの違いはあるが、インドやパキスタンのナンやチャパテイの製法に似ている。生地が薄いので焼き加減が難しく、油断すると焦げてしまう。そうかと言って、釜出しが早すぎると生煮えになる。どちらかを選べと言われれば、炭化して食べられなくなるよりは、少々生煮えでも香味と形が残っていた方が楽しい。直系1メートル幅の生地で焼成時間は180度2分程度である。

 今日では電力に不自由しない産油国であるが、石油採掘が盛んになる以前は、駱駝や牛糞で石を暖め、その石にパン生地を貼り付けて焼いたり、砂にやや厚めの固練り生地を埋めて砂を被せ、その上で火を燃やしてパンを焼いた。 「アラブのパン」を語ってきたが、これらの国々の主食は肉や野菜の煮物で、パンとサラダは副食である。昨年現地のスークを歩いていると、干葡萄、ナツメヤシ、イチジク入りの菓子パンや、輪切りにしたオリーブとチーズを練り込んだピザ風調理パンも売られていた。また健康に留意して、全粒粉(グラハム粉*)で作ったパンも人気があるようだ。

 午後4時ごろになって日が陰ると、急激に気温が下がる。夕暮れ時、一陣の涼気を含んだ風が吹くと、何処からともなく現れた1トン車に向かって群集が手を伸ばし、我先に押し寄せている。何だろうかと眺めると、パンとヨーグルトが配られていた。今は巡礼の最中、遠来からの礼拝者をねぎらって、地元の篤志家が喜捨をしているのである。そう言えばモロッコのアガデイールに住んでいた頃、毎週金曜日の昼過ぎに地元の物乞い家族が集まり、皆でクスクスを食べていた。授かる側も振舞う側も、長い歴史の中に受け継がれてきたアラブ世界の風習を、自然に営んでいる日常の風景であった。

(*)グラハム粉=1839年シルベスター・グレアム(米国人医師)が、ビタミンB1やEを多く含んだ胚芽を除去せずに、全粒を潰してそのまま粉にする方法を提案。

(**)近代フランスパンのルーツを辿れば、道はイタリアに繋がるようだ。 メデイチ家のカトリーヌが、アンリ皇子(フランス)のもとへ嫁いだ際に従って来たイタリア人料理人が、イタリア式製パン技術をフランスへ持ち込だと言われている。しかしフランスでは以前から麦作は行われていたので、パンの在来技術は既に存在していたと考える方が妥当である。