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コラム

2006/01/26

<クマさん日記>モーターサイクルダイアリーズ

今回は、最近観た映画のご紹介です。製作総指揮者はロバート・レッドフォード。監督ウオルター・サレンス。主演エル・ガルシア・ベルナル。

カストロを支えてキューバ革命を成功に導いた、アルゼンチン生まれの医学生チェ・ゲバラ(Che Guevara)、本名 エルネスト・ラファエロ・ゲバラ・デ・ラ・セルナが主人公。物語は1952年23歳のゲバラ青年と親友のアルベルトが、今にもバラバラに分解しそうなオンボロバイクに乗り、南米大陸縦断の旅に出るところから始まる。小さな交通事故やバイクの故障で予定の立たない旅が続く中、途中で動かなくなったバイクをスクラップとして売り払う。以後は、文無し無宿の徒歩旅行。それでも二人は南米大陸縦断を諦めずに前進し、ついに1万キロを踏破する。

映画では二人がハンセン病療養所を訪問し、医療奉仕活動をする光景が二度ほど出てくる。ゲバラは患者と職員が河を挟んで対岸にあるのに憤慨し、お別れパーティーの夜河を泳いで渡る。途中持病の喘息が再発してあわや溺れそうになるが、何とか対岸にたどり着き、患者は勿論、職員達からも祝福を受ける。またある地方では、土地を奪われて鉱山労働者となり、過酷な労働を強いられる原住民たちの悲惨な運命にであう。

行く先々で社会の不平等に嘆いて義憤に駆られ、次第に革命の必要性を痛感する。ゲバラの革命思想の原点がこんな所にあったのか、と感動するシーンであった。

蛇足:
その1.親友のアルベルトはゲバラの意思を受け継いで、キューバに医科大学を設立した。
その2.ゲバラと言えば、筋骨逞しく、顎鬚を生やして、ベレーボーを被り、野性的であ
りながら知的な雰囲気。その点南米の若き人気俳優ガルシア・ベルナルは、十分に知的ではあるが、野性味には乏しいと感じた。

<ゲバラの生涯と彼の生きた時代>

5人兄弟の長男としてアルゼンチンに生まれる。2歳で喘息を発病。少年時代は読書とラグビーに熱中する。時折襲う喘息発作で、頻繁に試合を途中棄権した。ブエノス医科大学に進学し、アレルギー疾患の研究をした時期もあった。

革命成功後は、カストロ首相に請われて国立銀行総裁に就任した時期もあったが、1965年3月21日ハバナ青年集会に出席した後は、姿を眩ます。1967年10月7日夜、南米ボリビア国ユロ渓谷でゲバラとその仲間17名は政府軍6個小隊の夜襲を受けて足に負傷、逮捕され、翌日小学校の教室で射殺される。

ゲバラの生きた時代は、世界各地で旧体制が綻び、崩壊へ向かう兆しを宿していた。アジアではインドシナ全域を巻き込んだ米軍のベトナム戦争。ソンミン村大虐殺。「ベトコン」が世界用語になった。南米各地の多くの国々で、白人移住者による先住民への圧制に反発したゲリラが蜂起。アフリカではコンゴ動乱、チャド紛争が勃発。巷には反戦歌とビートルズが流れ、黒人運動の指導者キング牧師が暗殺された。日本国内では学生運動の最盛期で、大学からは学園の雰囲気が消え失せ、至る所に看板や赤旗が乱立した。小田実、市ノ瀬などのジャーナリストの活躍はあったが、情報源を西側の取材に依存していたマスコミの報道からはベトナム戦争の真実と現実は伝わらず、国民の多くはベトナム戦争景気に酔っていた。三島由紀夫の死は、時代を象徴するかのようでもある。

機関誌ニルヴァーナ(NGO)11号に掲載された「クマさん日記」シリーズより抜粋